些細なことでも課題に感じたことは言語化して共有できれば良いと思う
タイトルの主語がでかい。状況次第だろう。
ただ、例えば、チームでプロダクト開発をしているときに課題に感じることがあれば、些細なことであっても言語化して共有できれば良いと思っている。共有はテキストベースだと更に良いと思っている。
...のだが、なぜそう思っているのかをうまく言語化できなかったので、改めて「なぜ」を考えてみた。
考えたこと
前提として、チームやまわりの環境において やっていき、のっていき という考え方や動きが存在すると仮定する。
ref: やっていき、のっていき / The Secret of Leadership and Followership - Speaker Deck
- どんなメリットがありそう?
- 言語化し、共有するまでの過程で「なぜ課題に感じたのか」の思考を整理することができる
- チームに共有することで「自分vs課題」から「チームvs課題」に変えることができる
- 課題に感じた人にとっては些細なことかもしれないが、チームの他メンバーからすれば些細なことではない(=重要)かもしれない
- 課題の解決案を考えるとき、1人よりチームのほうがより良い案が生まれる可能性がある
- チームで考えることで新たな課題や可能性が見つかる可能性がある
- 共有をテキストベースでやると、
- パブリックな場でやればチーム外からの思わぬのっていきが生まれる可能性がある
- ログが残るので後からでも参照できる
- 懸念は?
- 共有するまでに諸々の手間がかかる
- → それはそうって感じだが、それに見合う価値があると思う
- 自分が課題に感じたことなんて大した価値はないんじゃ...
- → 課題は様々な視点から生まれる・気付くはずなので、そのとある視点から感じた課題には価値があると思う
- 共有するまでに諸々の手間がかかる
まとめ
今回はチームでのプロダクト開発を例に考えてみたが、結果としてプロダクトの品質向上に繋がる可能性はそれなりにあるだろうし、やはり言語化や共有はできれば良いと改めて感じた。
もちろん状況次第なところもあるし、この考え方をまわりに強制するものではないが、個人的にはオトクだと感じているので今後もそのような動きができると良いな〜と思う。
もしこの記事をご覧になった方で「こんな考え方もあるのでは?」というご意見などあれば、何かしらの手段でご教示いただけるとありがたいです。